<株式会社WiseBrainsConsultant&アソシエイツ 大曲 義典/PSR会員>
筆者は、ほぼ毎日といっていいほど、街中の馴染みのお店にランチ用の弁当を買いに出掛ける。街と人の観察を兼ねてだ。その道すがらに目に入る光景のひとつに、〇〇〇銀行の支店脇にある「宝くじ売り場」に列をなす人の群れがある。こう言っては失礼にあたるが、余命幾ばくもないように見受けられるご年配の方々が寒風吹きすさぶ中で、整然と列をなしているのである。一人ひとりを存じ上げているわけではないので、自分勝手な妄想が思い浮かぶ。「〇億円の宝くじを目当てに何を目論んでいるのだろう?」「宝くじの当選確率ほど低いものはないだろうに!」「年金の受給額が少ないのだろうか?」などなど。きっと「お金」に囚われた人生になってしまっているのだろう。
一方で、これまた筆者が贔屓にしている同じ界隈の洋服の補正店に足を運ぶこともある。もうかれこれ20年以上の付き合いだろうか。そこでは、齢80歳と思しき老婦が一人で黙々と洋服の補正作業に勤しんでいる。わずか2~3坪の小さなお店なのだが、お店に入っても気づいてくれないこともしばしばだ。「○○さん!仕事忙しいね!」「いつまでこの仕事続けるの?」と声をかけたりする。「分からんばってん(わからないけど)、身体の元気なうちはね!」「こんごろは(最近は)、あんたんごと(あなたのように)、補正してくんしゃい(してください)、って頼む(依頼する)人の多かとよ。」「そいに(それから)、洋服の補正ばしよったら(をしてたら)、そん人(その人)の人生が見えて面白か!」「あんまり、お金にはならんばってんね(ならないけどね)。」いつもこんな調子である。そして、笑顔を絶やさない。
対照的な光景を書き記したが、この両者の違いは何なのだろう?と思わずにはおれない。果たして、どちらの御仁が幸せな人生を歩んでいるのだろうか?筆者は、洋服の補正店を営むおばあちゃんのような生き方をリスペクトし、自分も見習いたいと思う。もちろん、個々人にはそれぞれの人生と生き方があり、それはそれで肯定されるべきことである。また、赤の他人が、特定の予断を持って判断することは慎むべきことではあるが・・・。
前回も述べたように、ピーター・F・ドラッカーは「知識社会では仕事そのものが報酬だ」と言っているが、その意味するところは、満たされた現代社会では、金銭的報酬だけでなく、精神的な満足感も報酬である、と受け止めるべきだということであろう。また、ドラッカーは高額な報酬をも否定している。これは、人間の金銭による満足感は比較することによって生まれ、周りの人の収入が増えれば自分もそれ以上に増えないと満足できないという「欲望のループ」に陥ってしまう悪循環を引き起こすからである。その弊害は思っている以上に大きい。これが経営者であれば最悪である。自分の報酬にしか興味のない経営者が、従業員の心を掴んだマネジメントができるはずがない。
このように金銭に囚われ過ぎた生き方は、無間地獄に陥るのと変わらない。そして、幸福感にも影響する。人生は死ぬまでなのである。あの世にお金を持っていくことはできない。無間地獄に陥るような人生と縁を切れば、洋服の補正店を営むおばあちゃんのような楽しい人生になると思う。幸せに生きるための秘訣は、他人と比べたり、他人からの視線を意識するのではなく、自分らしく生きることだろう。生きていること自体に感謝、そして他人様はもとより「生きとし生けるもの」すべてに感謝する生き方に転換すれば、新しい地平が開けてくる。
お金はあれば便利で、自分を自由にしてくれる側面はある。しかし、中毒性のあるお金に囚われた人生を歩んでも幸せにはなれない。くれぐれも「自分」と「お金」が主客転倒した人生にならないよう、主役は自分自身であることを忘れないようにしたい。そして、人生にミッションと哲学を持ちながら仕事に取り組もう。
プロフィール
株式会社WiseBrainsConsultant&アソシエイツ 代表取締役
大曲義典 社会保険労務士事務所 所長 大曲 義典